忙しさの中で自分を保ち、信じるものごとを正しく発信していくには、
揺らぎない強い心、精神力が必要。
最近の忙しさを考えると、自分の今までの人生の中で最もいそがしいように思う。
何に忙しいのか考えてみると、すること多さ、だけでなく、
することに対しての判断の量、だ。
そして、自分が未熟で、判断をするための指針がまだないために、
毎回迷わなければならない!という個人的な煩わしさが忙しさを、なお、加速させて感じさせる。
仕事の量が多いのは、わりかし好きな方で、苦にならない。
でも、心が忙しいのは、人生でこれっきりにしたい。
そんな気持ちだから余計なのか、先日出会ったお寺がとても心に染みた。
近江八幡の、村雲瑞龍寺。日蓮宗のお寺。
近江八幡からロープウェーで4分ほど。小高い山の上にあり、
庭から琵琶湖が一望できる、という観光地的な要素もあるお寺。
織田秀次の母が、死んだ息子たちのために、京都の嵯峨野に建てた寺で、
昭和30年代に、八幡山に移築されそう。
窓の外は空!!という、すがすがしさ。
遠くに降る雨が、まあるく円を描き、雨の降る場所とそうでない場所が、
墨絵のように分けて見えた。
派手ではないけれど掃除が行き届いた、雨の薫りのする屋内は、
”禅定” にぴったりの場所だった。
「禅定」という言葉は、このお寺に上がって、置いてあった会報誌を読んで初めて知った。
禅定、心をしずめて考えること。
心を静かに落ち着けて、ドッシリと前後左右を分別して考えること、これを「禅定」という。
(村雲瑞龍寺発行、瑞雲より)
物の違うところを見、
物の一致しているところを見、
そしてそれをまとめて見ることを統一観と呼び、
統一観 (私は、ある種のオリジナリティのある絵画や作品が思い浮かぶ。) は、
社会に還元されるべき遺産である。
(村雲瑞龍寺発行、瑞雲より 私が読んで整理した)
この表現を読んで、一番に頭に浮かんだのが、アメリカの画家、ジョージアオキーフの絵。
単純な被写体を、これ以上ない、というくらい、真剣に描いた絵。
…、人間として守らなければならないことがハッキリとつかめたら、
その方向にむかって進む。途中で止まったり、あと戻りしたりしないようにして行く、
これを”精進”と言う。
(同じく、瑞雲より 私まとめ)
日蓮宗の創始者、日蓮さんの人生、(卑小な私からすると、もう少し、うまくやれなかったのかなぁ~などと思ってしまう、波乱の人生)も、この教義を聞くと納得する。
日蓮自身が、教義の一番の実践者だったのだ。
極端に考えると、一宗教に必要なものは、教義、とそれを実践する者、この2つ。
日蓮さんが先代から学んだ知識をもとに、一宗派を確立したように、
ものごとの創始者や芸術家は、すべてみな一宗派 と考えられないか?
それほどの、力強い表現力と意志のある現代の作品 = 現代の統一観を見てみたい。
そのための日々勉強!!
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